モノ作りの敷居

FabLabの運営者というよりモノ作り(工業)に携わっていた人間としてモノ作りの敷居が高いと思われていることはよく考えなければいけないことだと思う。高度成長期といわれた昭和40年代からバブル崩壊前の電子産業絶頂期までは、モノ作りをほとんどやっていない人が、転業してきて、その中には経済的にかなりな成功を収めた人たちもいた。

 当時と環境が違うと言ってしまえばそれまでだが、昭和40年代ならいざしらず電子産業の勃興期に新たに製造業を始めるには、最低数千万の資本がいるようになってきており、それでも新規参入を成功させる人達がいた。しかし現在では億単位の資金を入れても成功は覚束ないように私には思える。

 但しそれは正攻法というか既存の価値の中で商品を作った場合であり今は当時と比べたらはるかに商品化のプロセスの選択肢は増えている。つまり、たいして資本をかけなくても物ないし商品が作れるということだ。その手法についてはクリス・アンダーソンさんの著書に書かれてある。

 手法を変えれば今までの方法の1/10場合によっては1/100で完成するかもしれないということだ。世界レベルでみればこの新しい手法で商業的に成功を収めた人がいるが、私の回りにはいない。どころか認知もされていないのが現状だ。メーカーフェアのようなある意味お祭り的なものやその運営は大成功を収めておりその影響力や認知度は増しているように思える。が、アメリカのTechShopは倒産しており“機能する物をお金をかけずに作る”という意味ではどの程度上手くいっているのかよくわからない。

 日本では、物があふれ新たにモノ作りで経済的に成功することの敷居は非常に高く見えるのはしかたがない。少なくとも私はなるべくサボって豊になりたいので、努力して経済的に成功してやろうとは思わない。適当にやっていてもここでは生きていけるし、けっこう楽しい。なぜ頑張らなくてはいけない?ものを作るってことは環境の負荷を増やすことになる可能性が高いのだぜ!このように考えが流れるのは私にとっては必然だ。真面目に生きることの意味がかわってきているようだ。努力していっぱい作るとお金はもうかるかもしれないが、自分が住みにくい環境を作ることに手を貸すことになりかねない。

 どうすればよりよく生きれるかは難しすぎるし、人によっても違うのでここでは置いといて、昔も今も新しいものやシステムを考えて、実行すると逆風は強い。人ってたいがい自分がわからないことには否定的だよね。失敗すれば命に係わる状況では当然だよ。